コンジアム精神病院(韓国)

韓国グワンジュ市にある精神病院。
地元の言い伝えによると10年前、
患者の不思議な死が続き、
最終的には閉鎖を余儀なくされた。
現在は廃虚となっている。

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アコデセワのブードゥー崇拝市場

トーゴにあるアコデセワのブードゥー崇拝市場。
その市場では、ブードゥー教の儀式で使う物が、
市場で売られているんですが、
それは、動物の骨などで作られた呪物だという・・・

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セドレツ納骨堂(チェコ共和国)

修道院墓地 

伝承によれば、シトー会セドレツ修道院の修道院長であったハインリヒなる人物が1278年、プシェミスル朝のボヘミア王オタカル二世によってエルサレムに使節として派遣された。ハインリヒは帰還に際してゴルゴダの丘の土を手に一杯持ち帰り、その土を修道院墓地に撒いた。このことにより、この墓地は神聖であるとされている。

約3.5ヘクタールの共同墓地に、無数の死者が埋められた。

15世紀初頭、ゴシック様式の地上1階地下1階建ての教会が墓地の中央に建てられた。教会の建設工事に伴って埋葬者の一部が掘り起こされて亡骸が教会の建物の地下に運び込まれた。それ以来、教会の地下階が納骨堂として用いられるようになった。大きくなりすぎた墓地の規模を縮小するため、教会が完成したあとも死者の掘り起こしが続けられた。この作業は1511年の半盲のシトー会修道士の記録にはじまり、掘り出された人骨は納骨堂に整然と積み重ねられていった。堂内には、全部で約4万人分の人骨が納められた。


地下堂の中心には八腕のシャンデリアが吊り下げられている。このシャンデリアは、人体の骨格のうち、ほとんどすべての種類の骨を用いてつくられている。
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ソチミルコの人形島(メキシコ)

メキシコで一番不気味で気持ち悪い観光名所として知られているのが、
この「The Island of the Dolls」と呼ばれる、
メキシコシティーの南にある島なんだそうだ。

その島は都市伝説と迷信で溢れており、島の木には古びた薄気味悪い人形がぶら下がっていると言う。
 

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青木ヶ原樹海(日本)

青木ヶ原(あおきがはら)は、山梨県富士河口湖町・鳴沢村に跨って広がる原野で、富士山の北西に位置する。

「青木ヶ原樹海は一歩入ると出られない」という俗説があるが、先にも述べているように遊歩道もあり、案内看板も多く、近くにはキャンプ場や公園などがある観光地であり、遊歩道によりピクニックなどを楽しめる場所である。
問題なのは遊歩道を外れて森に入った場合で、遊歩道より200 - 300m以上離れた地点で遊歩道や案内看板が見えない場合は、360度どこを見ても木しかなく、特徴のない似たような風景が続いており、また足場が悪くまっすぐ進めないためなかなか元に戻れなくなる。もっとも、これは青木ヶ原樹海に限ったことではなく、深い森ならどこでも同じである。


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チェルノブイリ遊園地(ウクライナ)

チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月26日1時23分に発生し、25年たった今も、その周辺では、いつ放射能が漏れるか判らない、炉があるため、人が住むことができない状態になっている。そんなチェルノブイリ周辺にある遊園地では、今もなお誰が使うわけでもないのに、そのまま放置されており、非常に不気味だ。

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軍艦島(日本)
 
1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設された。この年には大阪朝日新聞が端島の外観を「軍艦とみまがふさうである」と報道しており、5年後の1921年(大正10年)に長崎日日新聞も、当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとして「軍艦島」と呼んでいることから、「軍艦島」の通称は大正時代ごろから用いられるようになったとみられる。ただし、この頃はまだ鉄筋コンクリート造の高層アパートは少なく(30号棟と日給社宅のみ)、大半は木造の平屋か2階建てであった。
端島炭鉱は良質な強粘炭が採れ、隣接する高島炭鉱とともに、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであった。石炭出炭量が最盛期を迎えた1941年(昭和16年)には約41万トンを出炭。
 
戦後復興期から閉山まで
人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5,267人の人口がおり、人口密度は83,600 人/km2と世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達した。炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗(常設の店舗のほか、島外からの行商人も多く訪れていた)・病院(外科や分娩設備もあった)・寺院「泉福寺」(禅寺だがすべての宗派を扱っていた)・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)「白水苑」などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していた。ただし火葬場と墓地、十分な広さと設備のある公園は島内になく、これらは端島と高島の間にある中ノ島に(端島の住民のためのものが)建設された。
 
1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。1965年(昭和40年)に三ツ瀬区域の新坑が開発され一時期は持ち直したが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年(昭和49年)1月15日に閉山した。閉山時に約2,000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、端島は無人島となった。しかしその後すぐに人がいなくなったわけではなく、高島鉱業所による残務整理もあり、炭鉱関連施設の解体作業は1974年の末まで続いた。

一部で世界遺産への登録運動が行われ、2006年8月には経済産業省が端島を含めた明治期の産業施設を地域の観光資源としていかしてもらおうと、世界遺産への登録を支援することを決定した。


2008年9月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、2009年(平成21年)1月に記載された。
2012年10月4日、日本が端島を世界遺産に登録しようとしていることを受けて、韓国では、大統領直属の「対日抗争期の強制動員の被害調査および国外強制動員犠牲者などに対する支援委員会」が戦時中に端島炭鉱へ多数の朝鮮人が強制連行されたと発表した。同委員会によれば端島は「監獄島」ともいわれ、
強制連行の被害者数は正式に確認したものだけでも134人、
当時島で没した死者は122人で、被害者は最大800人に上ると主張している


引用元:http://matome.naver.jp/odai/2135175544051324201


禁断の地をまとめていきたいので
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